あっと気づくと早いもので、今年ももう半分以上が過ぎていました。
この前、お正月だったのになぁと、ふと母は1月からの出来事を振り返ってしまいました。
1月から、息子くんの高校入学に向けて動き出して。
2月に旦那さんの単身赴任と我家の引越しが決まり。
3月にフリースクールの卒業式と息子くんの中学校卒業や我家の引越しをして。
4月に息子くんの高校入学、そして、旦那さんの単身赴任の引越しがあり。
6月に母は塾を開業して・・・。
半年の間の出来事の多さに、改めて本当に大変だったんだなぁと思いました。
塾開業には、広くてとてもオシャレなお家を、家庭教師をしていたお家の友達ママが、引っ越すからと貸してくれました。
我家の引越しは、フリースクールの子供たちやその保護者の友達ママやパパたちに手伝ってもらえて、引越し難民になりかけたのに業者にたのまずに引っ越すことが出来ました。
だから、大変だったけれど、本当にみんなに助けてもらって、楽しく何とか越えていく事ができたんです。
母は、暇嫌いなので、忙しいのは、苦にはならないタイプです。
我家の子供たちも大きくなって、留守番も出来るし、出かけることも出来るようになった今、母にとって、一番大変だったのは、忙しさではなくて、お金の問題でした!!
母の予想以上のいろいろな事が、一度に起きたので、計画していた家計をはるかに越えたお金が必要になってしまいました!!
それで、旦那さんに、結婚してはじめて、お金の相談をしたところ、旦那さんが何とかお金を集めてくれて、一度は越えることができました。
でも、母と旦那さんで、考え方が全く違っていたことがわかりました。
母は、息子くんのせいさ国際高校に支払う学費は、国の教育ローンを組んで、毎月6万円払っていこうと思っていました。
そして、時期を見て、再来年の娘さんの高校の学費のためにも、少しずつ仕事を増やして、貯金をしていこうと思っていました。
我家の旦那さんは、ローンが大嫌いです。
だから、ずっと家は賃貸にしているし、車もローンではなく現金で以前買ってくれました。
だけど、まさか、教育ローンもダメだとは、母は思っていませんでした。
せいさ国際高校は、通学型通信高校です。
通学する日数は、各自選べるし、本当に先生たちも優しくて、ひとりひとりを手厚くみてくれる母の大好きな高校です。
学費は、息子くんのように、週3日通学するコースでは、一年分を入学時の4月に約65万円支払います。
そして、その後は、毎年3月に一年分ごと一括で支払うシステムです。
分納するためには、提携している教育ローンを使わないといけませんでした。
今回は、12月末日までの返済という約束で、実家の両親が65万円もの大金を、貸してくれました。
旦那さんが、両親からお金を借りた時に、母につぶやいた一言が、母の心に残りました。
「ごめんね、僕の稼ぎが少ないから・・・。」
母は、本当に、申し訳なくなりました。
旦那さんは、一生懸命働いてくれていて、お給料もじゅうぶんもらっているのに、貯める事が出来なかったのは、母が悪かったんだよ・・・。
ごめんね、発達障がい・不登校の二人の子供たちを育てていくのは、母には大変すぎて、そんなに働いてくる事も、節約することもできなかったんだよね。
母の力不足で、悲しませてごめんね・・・。
お金が無い事を、一切責めずに、悲しんだ旦那さんを見て、母は、二度とこんな思いを旦那さんにはさせないし、母もしないと決めました。
母の実家は、とても優しかった父でしたが、ギャンブルにのめりこんで、3千万もの借金を作り、両親は離婚しました。
それを、一人で働いて返しながら、子供三人を大学まで出してくれた実家の母の母の事をしみじみ思い出しました。
母の母の苦労に比べたら、これくらい大したことないじゃない・・・。
何一つ不満を言わずに、働き続けてくれた母の母の偉大さを、今さらながら実感しました。
引越しから3ヶ月経って、家も落ち着き、塾も開業できた6月から、母は、深夜早朝の飲食の仕事を、週3日から週5日にかえてもらって、働き出しました。
時間も、朝6時までだったのを、日によっては、8時か9時まで伸ばして、働き出しました。
母にとって、一番辛かったのは、忙しいことではなくて、お金が無いのに、どうやって先の計画を立てればよいか途方にくれた瞬間でした。
それから、2ヶ月経ちましたが、元気に楽しく働けて、そしてあまり家族にも負担無く暮らせています。
塾のほうも、生徒さん4人と、勉強できるのが、何よりの母の喜びになっています。
もっと働きたいと願ったらすぐに、シフトを工夫して母を働きやすいようにしてくれた深夜早朝の飲食店には、本当に感謝しかありません。
そして、母は、一つワクワクして待っていた日がありました。
母が、満足できるくらい1ヶ月働いた7月の給料がもらえる、次の月の給料日です!!
ドキドキしながら給料明細をみると。
16万7千円!!! おおおおー!!!
以前の給料の2倍になりました!!
母は、旦那さんの会社で入ってもらっていた社会保険を、収入が増えた分自分で負担することになりました。
給料から2万円ひかれましたが、それでも、14万円以上の収入を得ることが出来ました。
それと、塾の生徒さんからいただいたお月謝を合わせると・・・。
なんと!! 独身時代に、幼稚園の先生で働いていた時よりも、高いお金を稼げるようになっていました!!
うわぁ。これは、本当にありがたいよー。これで、何か、また別の大きな出費が無ければ、何とか家計をやりくりしつつ、高校の学費も支払っていけるなぁ。
これって、母にとっては、20才代ではじめて幼稚園に勤めた初任給に続いて、40才代で子育て大変な時期を越えてまたしっかり働き出した第二の初任給かもしれないよねー!!
浮かれた母は、第二の初任給に、何か、記念に買い物をしたくなりました。
けれど、そこに大きな障害があることに、母は気づきました。
母は、自分の物を買うのが、大の苦手です。塾に使う参考書以外、ほとんど買い物をする趣味もない人間でした。
そんな時に、塾の生徒さんが、誕生日を迎えました。
母は、甘いもの好きなあの子なら、きっと好きかも!!
めったに行かないミスタードーナツに行って、生徒さんの誕生日プレゼントにドーナツを買いました。
ああ!!これがいいかも!!
生徒さんの誕生日祝いのついでに、母は第二の初任給祝いに、家族にたくさんドーナツを買うことにしました。
へー。今のミスドは、すごいなぁ。食べ放題とかしてるんだねぇ・・・。
めったに買わないドーナツを山ほど持って、母は家に帰りました。
家族は大喜びだったけれど、結局一人3個が限界で、残りは、冷凍庫で凍らせながら、少しづつ食べることになりました。
15年間、働きたくても満足いくほどは働けなかった母でしたが、いろんな大変な事を越えて、とうとう、今はこれくらいなら満足だと思えるくらい仕事を始めることができました。
娘さんが大学生になった時は、車の免許をとって一人で隣の県の器械体操教室に通ってくれるそうなので、母は、今よりも一日5時間は、暇な時間ができそうです。
その時は、子供たち大学生2人の学費を稼ぐために、もっと働きたいなと、今からたくらんでいる母でした。
大変なのは、いろいろな困難なことが起きてしまうことではなくて、大変な困難な状態を何とかする方法が見つからない時なんだなぁと、しみじみ母は思いました。
健康に感謝しながら、これからもしっかり仕事もその他のいろいろな生活も、いっぱい動いて楽しんでいきたいなと思う母でした。