我家に、校長先生が来た!!(2) ~娘さん、校長先生と面談する~
2018年 03月 26日
3月14日。
この日は、我が家にとって、いつも通りの日常でした。
昼前から、近所の幼馴染のKくんが、息子くんと出かけた後、遊びに来ました。
母は、引越し準備を進めていました。
今日のミッションは、台所のコンロをこすってきれいにしたり、換気扇やシンクの掃除でした。
ゴム手袋をして、ゴシゴシ磨いていると、近所の幼馴染のJくんから、連絡が入りました。
「今から行きます。」
今日は、ホワイトデーです。
Jくん、毎年律儀に、娘さんのバレンタインデーのチョコのお返しを持ってきてくれます。
おおー!!
3月2日に、我家のフリースクール『GUZUGUZU』を卒業した中学校3年生が、なにげにみんな集まってくれるなぁ。
母は、これからも、せいさ国際高校に通いながら、我家に遊びに来てくれるといいなと思いました。
あっ!でも、ちょっと待って!!
今から、校長先生が、この家にくるんだよね。
今は、4時過ぎだから、Jくん、思いっきり校長先生に会っちゃうよ!!
Jくんに連絡すると、校長先生がいても大丈夫と返って来ました。
Kくんが帰った後に、Jくんがやって来ました。
そして、Jくんは、娘さんに、今年は、ゲームソフトをくれました。
そのままJくんがいつも通り、パソコンで遊び始めると・・・。
ピンポ~ン。
ききき来たー!!!
玄関を開けると、校長先生と担任の先生が、ニコニコ笑顔で立っていました。
二階から娘さんが、おりてきました。
服がー。短パンにTシャツ!!思いっきり、器械体操に行く格好でした!!
それから、我家のリビングで30分。
校長先生と担任の先生、そして、向かい合わせに娘さんと母が座っての面談が始まりました。
校長先生がダンディーな笑顔で、娘さんに話します。
「君の将来なりたいものは何だい?」
娘さんが、ちょっと余所行きな笑顔で答えます。
「器械体操の先生になることです。大学に行って、先生の資格をとりたいと思っています。」
校長先生が、娘さんの目を見続けながら言います。
「君は、器械体操をしている。それは、一人では出来ないよね。そこに送って行ってくれているのは誰かな?」
娘さんが、フッと笑って言いました。
「母ですねぇ。」
校長先生が、熱く語りだしました。
「そうだ。一人では、出来ないことも、お母さんや周りの人たちのおかげで、できる。君は、一人ではない。」
「だから、君は、お母さんに感謝しないといけないんだ。いいかい?お母さんに感謝だよ。感謝なんだ。」
娘さんは、引きつった笑顔で言いました。
「はぁ、感謝します。」
なんじゃこりゃー!!!
母は、思いっきり、心の中で叫びたいのをこらえ続けました。
校長先生、ありがとうございます。でもね、でもね、母は、ありがとうとかあんまり思ってもらいたいとかいうタイプじゃないんですよー!!!
ありがとうと言って欲しい時は、直接、母にありがとうと言えと言うタイプです。
結局、校長先生は、10分ほど娘さんの目を見て、熱く語られました。
そして、母からは、一言、先生たちにお伝えしました。
今まで、学校に関しては、本当にいろいろな事があって、大変な思いをしてきました。
でも、今は、もう何も困っていないというか・・・。
娘さんも、学校へは、行けませんが元気です。
それで、これからもお願いしたい事は、教科書をいただきたい事と、一年に1回くらい先生方にお会いできたらいいなと思うくらいです。
高校も、兄と同じく、せいさ国際高校に行くと決めていますし、特に何もしていただかなくて大丈夫です。
校長先生と担任の先生は、ニコニコ笑顔で帰って行かれました。
校長先生は、最後まで感謝だと言われました。
あれ?担任の先生は?
名前も、申し訳ないけれど、覚えないまま面談は、終了となりました。
義務教育ねぇ・・・。
我家は、もう何も期待もしていなければ、頼る気持ちもかけらもありません。
ハッキリ言って、発達障がい・不登校の家庭には、役立たない学校というのが現実です。
でも、この公立中学校の先生たちは、好きなので、最低限関わって来たいと言われる分は、付き合ってあげようと思います。
偉そうでしょ。
だけど、母の心の中は、何も役立たないくせに、教育委員会に報告する時期になると、連絡してくる学校という組織にものすごく腹が立っています。
それでも義務教育だから、付き合ってあげています。
これから先の未来に、発達障がい・不登校の親子が、大変な思いをしなくてすむようになればいいと思います。
今回の面談について、娘さんが、熱く語ってくれました。
「校長先生の言う話は、オレだってよくわかったよ。だけどよー。ずーっと、目を見続けて話をするのだけは、勘弁してくれよ!メッチャ、疲れたんだよ!!」
のらーり、くらーり、あと二年間。
これからも続く、娘さん最後の義務教育期間を、がんばらないで過ごしていこうと改めて思った母でした。