とうとう『支援教育専門士』トレーナー資格を取得しました!!
2017年 08月 13日
今中学校3年生の息子くんは、小学校1年生の時に、発達障がいと診断を受けました。
何もわからない母は、手当たり次第に、発達障がいの本を読んでみたり、教育相談の先生や専門家に、相談してみたのですが、あまり、子育てに役立つ情報は得られませんでした。
学校に行けない子をどうしたらいいのか?
勉強が、出来ない子をどうしたらいいのか?
日常の子育ては、このままでいいのか?
このまま、大人になって、働ける子に育つことができるのか?
学校に通えている他の子とは、あきらかに違うのに、今、具体的に何をしていけばいいのかを、誰も教えてはくれませんでした。
母の周りにも、息子くんに似た特性を持つ、幼馴染の子どもを育てているママ友達がいて、苦しんでいました。
専門家が教えてくれないのなら、自分が勉強して、専門家になるしかない・・・。
学校の先生たちは、ただの母の話なんか、聞いてはくれていないじゃないか・・・。
どうしていいか何もわからない焦りと不安感で押しつぶされそうな母は、わらにもすがる思いで、せいさ大学に入学しました。
息子くんが小学校2年生、娘さんが幼稚園の年中組の時でした。
とにかく、子育ての合間をぬって、勉強をしました。
息子くんが不登校になるのと同時期に、大学生活がスタートしました。
せいさ大学は通信制ですが、母の目指す『支援教育専門士』に必要な勉強は、ほとんど、一科目にスクーリングが、土日続けての2日間行かないといけないものばかりでした。
旦那さんは、土日は仕事です。
実家は遠く、誰もあずける人はいませんでした。
そこで、市のファミリーサポートという預かり支援をしてくれる制度を、利用する事にしました。
娘さんは、幼稚園の時には、もう、発達障がいと診断を受けていて、ものすごい多動の子どもでした。
一人でも、大変な発達障がいの特性の強い子どもを、一度に二人も見てくれる人は、なかなかいませんでした。
顔合わせだけで、断られたり、一度だけで文句を言われることが続きました。
そして、支援をしてくれる人は、15人もかわりました。
そんな中、二人のおばあさんだけが、とても優しく、二人を預かってくれました。
その方たちがいたからこそ、スクーリングに行くことが出来、近くの学習センターで、受けられる講義は、ほとんど2年間で終えることが出来ました。
一つ一つの講義は、ものすごく子育てに役立ちました。
そして、何よりも、衛星中継を使って、または直接に、自分や周りの子どもたちの子育ての悩みを、専門の先生に、相談する機会に恵まれました。
あと少しの講義だけが、一番近くても横浜までいかなくてはいけないもので、片道1時間半の距離さえも、子どもたちを預けて、母には行く事ができませんでした。
それで、5年近く待ちました。
その間に、親の会を開催させてもらったり、フリースクールや家庭教師をさせてもらったり、様々な活動をしながら、ひたすら、子どもたちが大きくなって、留守番できるようになる日を待ち続けました。
そして、去年。やっと、横浜までスクーリングに行く事が出来、専門の資格を取る講義をすべて終えることができました。
すぐに、資格の申請をと思っていたのですが、二人の子どもたちの一時学校復帰や不登校のために、かなり、遅れました。
やっと、申請を出し、この度、7年間かけて、『支援教育専門士』の資格を取得することができました。
いつの間にか、3段階の初級と中級は、取り終えていたようで、トレーナーの資格をいただくことができました。
『支援教育専門士』というのは、せいさ大学認定の、障害を持つ幼児・児童・生徒の自立や社会参加を支援する特別支援教育に関する専門家です。
特別支援教育の基本から、発達障がいに関する医学的見解、アセスメントや支援の方法まで、体系的に習得したことになります。
長い時間をかけてしまいましたが、子どもとともに、自分も育ってきたんだなぁと、改めて振り返ることができました。
入学金を支援してくれた母、そして、応援してくれた家族や友達ママ、そして、皆さんに感謝します。
大学は、卒論を書くのみとなりました。
でも、先に学習塾を開きたいと願っているので、卒業は、あと二年はかかりそうです。
すぐには、願いは叶わなくても、待てば出来る事もあると信じて、また日々をすごしていこうと思う母でした。