昔話 Part5 ~娘さんの不登校~

娘さんの不登校を書こうと思ったら、なかなか書き出せませんでした。
息子くんの不登校よりも、まだ最近のことで、辛さが残っているんですね。

昔話Part4でお話したように、娘さんには、発達障がいのADHDで多動の特性と、
臭覚過敏があります。

給食や粘土のにおいが苦手で、座っていられないので、クラスにずっといられない。
けれど、小学校の一年生のときは、先生たちに恵まれて、楽しく保健室で過ごせました。

このまま、ずっと過ごせればいいなあと、あまり心配していませんでした。

辛い出来事の始まりは、二年生直前に開かれた事前の面談の時でした。
旦那さんも一緒に行ってくれて、先生たちと向かい合って座ったら、
娘さんに優しくしてくれた先生が、誰もいないんです。
知らない、産休明けの担任と転勤してきた副校長先生に、養護の先生でした。
大好きだった先生たちが、みんないなくなりました。

「何でいなくなっちゃったの?」と、帰って娘さんは、泣いていました。
公立小学校には、転勤がある。それにしても、ひどいなぁ。
嫌な予感がしました。

がんばって登校した始業式。心配なので、娘さんに一日付き添うことにしました。

校庭でクラスの一番後ろに並んだけれど、途中で辛くなった娘さん。
一年生の時と同じように、保健室に行きました。

新しい養護の先生は、笑顔で迎えてくれるけれど、多動が嫌いな人でした。
座って、静かにできるなら、少しの時間は、いてもいい。
ケガや病気でなければ、すぐにクラスに行かせました。
娘さんの特性や、一年生の時、保健室で過ごさせてもらえて、
休まずに登校できたことを話してみても、全く理解しては、もらえませんでした。

娘さんは、クラスにいられないんです。どこにいればいいんだろう?
クラスの前の廊下で、親子で途方にくれました。
保健室がダメなら、図書室でも、どこか入れない時間だけ親子で過ごせる場所をと
おねがいしてみたけれど、断られました。

今までの様子を知っている、唯一の願いの校長先生に、
困っているんですと面会を求めても、忙しいからと会ってもらえず。
新しい副校長は、特別扱いはしないという、発達障がいの子供に厳しくて有名な人でした。

小学校は、大好きな娘さん。
行かせてあげたい一心で、出れる授業だけ登校することにしました。
時間割を見て、体育と図工の時間を目指して登校しました。
けれど、急に時間割が変わるんです。国語の授業になったり、算数になったり。

朝、一度、母だけ登校し、担任の先生に時間割を確認して、
一時間後に登校しても変わる時に、はっきりと悪意を感じました。
そんな事が、8回も続いて、
しかもクラスには、たくさんの粘土が飾られたとき、母の我慢は、切れました。

先生に、どうしてこんなにも予定を変え続けるのか?発達障がいの子どもは、変更に弱い。
その授業だけ出るために、不登校になりかけた親子が、どれだけ辛い思いをしながら
登校しているかを、どうして理解してもらえないのかと廊下で尋ねました。

驚いたことに、担任の先生に、逆ギレされました。
「予定なんて、その日に授業で決まるんだから、わかるわけないでしょ!!
クラスに入れないなんて、甘えじゃないですか。保健室にいればいいでしょ!」

娘さんが泣きながら学校を飛び出して行くのを、追いかけました。
それから毎晩、娘さんは泣き続けました。
「学校に行けないのは、私のせいじゃない。私のせいじゃない。」
眠れず、食欲もなく、部屋から出てこなくなりました。

副校長先生からは、「どうして、この小学校にこだわるんですか?別のところに行けばいい。」
と言われました。

教育委員会に、電話で相談しました。どこにいけばいいのか?尋ねました。

教育委員会から直接、小学校に指導が入りました。
急に校長先生から、話し合いたいと連絡があり、担任の先生は、専門機関の先生たちから、
指導をされました。

どんなに話しあっても、難しいんです。
その先生たちからは、発達障がいは、甘えであり、
頑張らせれば何とか変わってくるという心が伝わってきます。

病んでしまった娘さんは、今も学校が見れません。近くを通れません。
悪い記憶が残りやすい特徴もあるので、とにかく今は、関わらさないようにしています。

担任の先生は、専門機関の「今は、関わらないように。」という忠告を無視し、
突然訪ねて来たり、「戻ってきて」という手紙をポストに入れ続けています。

先生の、頑張りたい気持ちは、わかるけれど、言いたいことは一つだけ。
「我が家は、もう気にしないで構わない、他の子どもたちのためにも、勉強してください。」

不登校は、頑張りすぎた心を休める方法の一つだと思うんです。
元気じゃないと、何も次には進めない。そんな、敏感な子どもたち。


一生懸命まもったけれど、辛い記憶を残させてしまったことが、申し訳なく思う母でした。
Commented by kirakiramiki at 2013-01-12 21:35
こんばんは。
簡単に不登校のきっかけを聞いてしまいました
わたし。
すみません。
記事を読んで悔しくて泣きました。
学校の対応ひどすぎます!
教師なのに発達障害を全く理解していない
ですね、担任もひどすぎます。
こういう言い方は失礼ですがそんな
先生方の所から娘さんを避難させたいですよね。
不登校きっかけはうちの娘も担任が変わってから。
一年生の時の担任の先生はお願いしたことを
聞き入れて臨機応変だったのですが
2年で頑固な先生になって…
やはり担任の先生の理解が不可欠ですよね。


Commented by chie at 2013-01-12 23:12 x
いえいえ、いつか振り返って、ブログに書きたいと思っていたから、本当に、書く勇気をもらえて、嬉しいんですよ。
なかなか、わかってくれる先生は、少ないですよね。四年間戦い続けました。
今は、発達障がいや不登校のお母さんたちと、話せるのが、楽しみです。
kirakiramikiさんに、出会えて、本当に嬉しいです*\(^o^)/*
辛かったけど、今は楽しい毎日です。
いつか少しずつ、子育ても落ち着くときがくるはず。
一緒に、何とか過ごしていきましょうね!
by chie_tknr | 2013-01-12 10:51 | 昔話シリーズ | Comments(2)