昔話 Part3 〜息子くん学校へ行く〜

 息子くんの、不登校を書いた後、当時を思い出して、

 少し気持ちが沈みました。

 本当に、子どもが病んでしまっての不登校は、辛いものです。

 
 一年生が終わった後の春休み、息子くんが言いました。

 「ママ、学校行かなくてもいい?」

 あまりに、ひどい対応だった小学校に対して、怒っていたこともあり、

 布団から出れなくなった息子くんを前に、

 「いいよ、元気になるまでゆっくり休もうね。」と言っていました。

 
 辛い時は、いろいろな事が重なるものです。

 やっとの思いで相談に行った、市の教育相談室で、

「学校と連絡をとって、またご連絡します。」という言葉をもらいました。

 連絡が来たのは、一ヶ月後、何の役にもたちませんでした。

 不登校になった子どもは、急いで対応を考えないといけないんです。

 親も子どもも、どうしていいか解らない孤独との戦いになります。

 
 我が子を守るのは、家庭しかないと思い知らされました。

 それからは、何と言われようと、息子くんを元気にする事だけを考えました。

 息子くんの好きな事ばかりさせてあげるようにしました。

 一ヶ月、ゆっくり生活する中で、やっと布団から起きれるようになり、

 外に出れるようになりました。

 植物が好きな息子くんと一緒に、河原で毎日、野草を見て過ごしました。


 残念な事に、不登校中、一度も小学校から連絡は、ありませんでした。

 専門の機関が、役に立たないと思った時、これから進む方向が解らなくなりました。

 我が子や友人の子どもを救いたいと思い、通信制の発達障がいの勉強ができる大学に

 行く決心をしました。

 不登校の授業で、今の状態を話したところ、

 「小学校と戦いなさい。あなたが小学校を変えるしかないでしょう。」

 と言われました。

 
 そして、学校も見れなくなった息子くんを、付属のフリースクールに

 入れてくださいました。はじめは、叫び声をあげ、廊下のベンチの下に逃げこんだ

 息子くんでしたが、優しくて面白い先生たちに見ていただいて、

 一ヶ月で、教室でトランプ遊びが出来るまでにしていただきました。

 
 小学校に連絡し、息子くんを不登校から、学校に通わせたい事、

 はじめは、一部屋空いている部屋で、母子二人で勉強させてほしいとお願いしました。

 不登校から三ヶ月が経っていました。

 
 毎日、二人だけで勉強を続け、二学期が始まった頃、小学校が対応を考えて

 くれるように変わりました。

 今までの支援のミスを認め謝り、特別なニーズのある子どもや、
 
 発達障がいの子どものために、

 一部屋用意し、支援員をおいてくれるようになりました。

 それから、二年半。四年生の一学期まで、

 息子くんは、ゆっくり対応してもらいながら、小学校で過ごす事ができました。

 
 四年生の二学期からは、小学校に籍だけおいて、

 別の小学校にある、不登校児の通う適応教室に、通いだしました。

 どうして他の教室にいるのかは、またいつか書かせてもらうつもりです。

 
 今は、昔が嘘みたいに元気な息子くんです。

 昔を振り返ってみて、しみじみ思う事は、

 息子くんの言うとおりに、

 無理に学校に行かせず、

 ゆっくり休ませてあげて本当に良かったなあと思うことでした。

 

 
 

 




 

 

 

 



 
Commented by 春風 at 2013-02-15 11:02 x
>通信制の発達障がいの勉強ができる大学
情報を教えていただけますか?
可能なら、私も勉強してみたいです。
by chie_tknr | 2012-12-30 21:09 | 昔話シリーズ | Comments(1)