昔話 Part2 ~息子くんの不登校~
2012年 12月 30日今回は、息子くんの不登校の話です。
不登校で、悩んでいる家庭は、本当に大変ですよね。
その立場にならないと解らない、孤独や絶望感があるんです。
我が家も、先の見えない、どん底のような気持ちで過ごした事がありました。
息子くん、幼い時から自閉的な傾向が強くありました。
昔話でお伝えしたように、小学校に入って、一年生の時は、本当に大変でした。
でも、健康なので、一日も休まず一年間小学校に通ったんです。
そして、二年生で、不登校になりました。
息子くんの一年生の様子は、可哀想でした。
入学式で、泣いてパニックになり、遠足は一人で行けないので、親が役員をして付き添い。
運動会は、一人で走れずに、先生に抱っこされてゴールし、
避難訓練は、怖くてパニックになり、小学校のフェンスの隙間から逃走し、近所の人に、
家まで連れて帰ってもらいました。
毎日、教室まで送らないと登校できず、ずっと服のソデをくわえている状態。
教室では、先生に隠れて、机の下で、折り紙を折り続けていました。
幼い時から、自閉的な面を鍛えようと、厳しく育ててきた母も、
さすがに、顔色も悪く、毎朝辛そうに学校にいく息子くんを見て、
何とかしてあげたいと思いました。
先生に話しても、元気だと言って、とりあってくれないので、
自分で動くことにしました。
市の教育相談室に、電話し面談。そこで、初めて、発達障がいという言葉を聞きました。
紹介してもらった病院に、息子くんを連れて行くと、その場で、
「ああ、アスペルガーだね。」と軽く診断されました。
長い間の、どうして育てづらいんだろう?という謎が解けて、
発達障がいだというショックもあったけれど、何よりも、ほっとした瞬間でした。
息子くんを産んでからずっと、「あなたの子育てが悪いんじゃないの?」
とよく周りから、言われていたんです。
私のせいだけじゃなかったんだと、思いました。
小学校に、診断結果を伝えてからは、発達障がいの本を片っ端から読んで、勉強しました。
そして、一番驚いたことは、治らないということでした。
あら?かなり、今まで厳しくしたのよ。ごめんね、治らないんだ。と、反省しました。
発達障がいの特徴を知って、上手に付き合うことが大事と知りました。
三学期に入り、音楽会の練習がはじまりました。
息子くんには、聴覚過敏があり、うるさい音が苦手なので、
絶対に、無理をさせないでほしいと、小学校には伝えました。
日に日に、息子くんの様子が、おかしくなってきました。
帰って、布団にもぐり、2時間も泣き続けるんです。
先生に聞いても、がんばっていますよ。と言うばかり。
心配になって、小学校に行ってみました。
そこには、体育館で、音楽会の練習をする子どもたちがいました。
子どもたちが、歌を歌ったり、楽器を演奏する中、
補助の先生に抱えられ、大泣きで、ステージに上げられている息子くんがいました。
驚いて、息子くんを抱きとめ、ステージから降ろしました。
先生に、「無理させないでと言ったじゃないですか。どうしてですか?」
と詰め寄ると、平然とした顔で、「頑張らせたほうが、息子くんのためですから。」
と言い返されました。
小学校への信頼は、そこで大きく崩れました。もっと早く、気づくべきでした。
一年生の終業式とともに、家から出れない息子くんになりました。
「怖くて、学校が見れない。四角い建物が、全部学校に見える」と言って、
布団から起き上がれなくなってしまいました。
息子さんが大きな傷を負ったにもかかわらず、早い時期にフリースクールなどに通えるようになったのも、全面的にchieさんが息子さんを守ったからなんですね。
私の場合は自分が病んでしまって、娘を守ってやれず、かえって傷つけてばかりでした。
だから今でもどこにも通えないし、お風呂に入れなかったりするのかな。あの時はとても守るなんてどころじゃなかったんだよな~。自分を守るのが精一杯でした(T_T)
悔やんでも仕方ないけど、戻れるならあの頃に戻ってやり直したい気持ちでいっぱいです・・・。